平成16年3月、他界いたしました私の父北条明直の遺稿を、このような立派な著作集として刊行して頂くことになりました。編集の指揮を自ら執って頂いた武蔵野大学名誉教授山口善久先生はじめ関係各位の皆様には、この場をお借りして深く御礼を申し上げます。
私が物心付いた時分、父は文部省社会教育局芸術課に勤務しており、主に芸術祭の担当官として新劇に加えて、歌舞伎、文楽、そして生け花に至る古典芸術・芸能に携わる仕事をしていました。わりと自由に活躍出来る場が与えられていたせいか甚だ昼夜問わず多忙で、この頃の私は父と夕食を一緒にとった思い出が全くありません。
しかし、時たま劇場(歌舞伎座、俳優座等)に呼び出され、観劇を共にした記憶が残っています。当時の俳優は海老蔵時代の11代目市川団十郎、8代目松本幸四郎、滝沢修といった名優たちでした。私が製作者として30年余り演劇の世界で生きてこれたのは、この体験を抜きにしては語れないと思います。
父はやがて文部省を退き、ドキュメンタリーテレビ番組の構成作家等もこなし、更には記録映画の監督として数々の賞も頂戴し、他方大学にも籍を置き生け花を中心に民俗学の授業を持っていました。祖父明頼が教育の専門職であり、私が専ら芸能を生業としていますので、父はその中間に位置し双方をこなし、ある意味橋渡しをしてくれたことになります。
父の死に際し私は祖父の時のように涙ぐむといった事がありませんでした。それは2人のキャラクターの違いもあったでしょうが、父の81年の生涯は普通の人の百年を上回る濃い内容をもった人生だったと思えてならないのです。それだけに情熱に溢れエネルギッシュであり、ハタの者からみればハラハラすることもありましたが、父ほど他人に愛され大事にされた人間もそういないのではないかと思います。特に郷土の級友、生け花界の諸先生、そして父の教えを受けた方々等など。
葬儀が終わり父の棺の火葬場への途中、旧制都留中学校同窓生の方々のご配慮で、父の霊柩車は都留高校の校庭を通過するお許しをいただきました。その校庭には全教職員が整列し校旗を掲げ父の棺を見送って下さいました。都留高校庭で生れそだった父にとって最後まで幸せ者であったと思わずにはいられませんでした。
また父の生前ご親交のあった、都留校同窓会長西室陽一、大月市教育委員星野喜忠の両先生には、「推薦のことば」をお寄せいただくとともに、本書の発刊にあたり日本ステンレス工業株式会社会長石岡博実様、編集担当の大川雄康様には多大なご援助お力添えをいただきました。
最後に、企画、編集事務所イングの中村俊治様には、本書出版全体のご指導、ご協力をいただきました。父にかわり、これら関係者の皆様方に対し心より厚く御礼と感謝を申し上げます。
故 北条 明直 長男 北条 純
北条明直(ほうじょう・あきなお)プロフィール