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住古 〜井上 豊〜

「住古」〜はじめに〜より

昔のことを知ろうとしたり、研究するには、その当時の文書を読むか、石碑石造物に当たるか、又は古老から伝承を聞くしかない。しかし、文書がもっとも詳細にそして的確に教えてくれることは云うまでもない。

今回、市内に残っている昔の文書―古文書(コモンジョと云う)―を取り上げて紹介しながら、市民の皆さんに広く理解と関心を持っていただくことをねらいとしました。

古文書は難しくて読めない、という先入観を多くの人が持ち敬遠するが、それが原因で貴重な文書が消滅したり、流失してしまう例が多い。失われることはあっても絶対に増えることのないのが古文書である。

ついでに、古文書の隠れた効用について紹介すると、読めない文字をあれこれ想像したり、苦しむことは、絶好の頭の体操になる。

ここで取り上げる古文書は、主として明治以前のものである。書体は、「お家流」という幕府が公用としたものであるから、全国どこの文書も読める利点がある。

ただし、用字には、漢字、平仮名、片仮名、変体仮名が入り混じり、その上に変形の漢文体も仕様されたりするので、全くの初心者は音をあげるかも知れないが、馴れるにしたがって興味と挑戦意欲が湧くものである。

私たちのすぐの先祖である江戸時代の農民は、識字力が低く、無学文盲であったという今までの通説は大きく訂正される必要がある。

市内の普通の家に残されている古文書、四書五経の冊子、そして今風の小説に当たる書物が時々みられることは、農民の生活の中に文字がかなり普及していたことを物語っていると云える。又、おびただしく残されている小作証文など、少なくとも読めなければ不利益になるので、生きる知恵として文字を習得したものと考えられる。

井上  豊


井上 豊(いのうえ・ゆたか)プロフィール

昭和5年10月
大月市賑岡町畑倉126番地に生まれる
昭和23年3月
山梨県立都留中学校卒業
同年10月
七保第1中学校助教諭として奉職
昭和30年3月
私立立川短期大学英文科卒業苛七保第1中学校、七保第2中学校、猿橋中学校、大月東中学校に勤務、その間教育センター研修、山梨県教育委員会勤務を経て平成3年3月に畑倉小学校校長退職
大月市文化財審議委員、郷土資料館古文書研究会講師、山梨県文化財保護指導委員、公民館長、市政協力委員長、大月市教育委員。現在、大月市文化財審議会会長、北都留地区文化財審議会副会長、大月ロータリークラブ会員。
著書「下野隠居」「威徳寺物語」/編集句集「桂川」/論文「大月市の石造物」1、2に収録/「岩殿山の総合研究」「円通寺の研究」他

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