2024年10月7日
昔のことを知ろうとしたり、研究するには、その当時の文書を読むか、石碑石造物に当たるか、又は古老から伝承を聞くしかない。しかし、文書がもっとも詳細にそして的確に教えてくれることは云うまでもない。
今回、市内に残っている昔の文書―古文書(コモンジョと云う)―を取り上げて紹介しながら、市民の皆さんに広く理解と関心を持っていただくことをねらいとしました。
古文書は難しくて読めない、という先入観を多くの人が持ち敬遠するが、それが原因で貴重な文書が消滅したり、流失してしまう例が多い。失われることはあっても絶対に増えることのないのが古文書である。
ついでに、古文書の隠れた効用について紹介すると、読めない文字をあれこれ想像したり、苦しむことは、絶好の頭の体操になる。
ここで取り上げる古文書は、主として明治以前のものである。書体は、「お家流」という幕府が公用としたものであるから、全国どこの文書も読める利点がある。
ただし、用字には、漢字、平仮名、片仮名、変体仮名が入り混じり、その上に変形の漢文体も仕様されたりするので、全くの初心者は音をあげるかも知れないが、馴れるにしたがって興味と挑戦意欲が湧くものである。
私たちのすぐの先祖である江戸時代の農民は、識字力が低く、無学文盲であったという今までの通説は大きく訂正される必要がある。
市内の普通の家に残されている古文書、四書五経の冊子、そして今風の小説に当たる書物が時々みられることは、農民の生活の中に文字がかなり普及していたことを物語っていると云える。又、おびただしく残されている小作証文など、少なくとも読めなければ不利益になるので、生きる知恵として文字を習得したものと考えられる。
井上 豊
井上 豊(いのうえ・ゆたか)プロフィール