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弊社倉庫と紅富士太鼓道場移転のご挨拶

この度、「日本ステンレス工業(株)」倉庫、及び「紅富士太鼓」の練習場(太鼓道場)を本年2月末を持ちまして猿橋町殿上の「大月本部敷地内」に移転致しました。
これまでの場所は平成15年より20年近く使用しておりましたが、付近の皆様方には、早朝よりお騒がせをし、紅富士太鼓においては夜まで演奏練習でお騒がせをしておりましたにも関わらず温かいご理解を賜りました事、心より御礼申し上げる次第です。
特に、大家様である鈴木様には一方ならぬお世話になりました事、重ねて御礼申し上げます。

思い起こせば、昭和63年に大月駅前に開業してから35年。その開業から5年後の平成5年9月に現在の猿橋町に事務所を構えまして30年になりました。
青森の田舎より大月の地を踏み、近隣の皆様方の心温まる激励を賜りました事、重ねて感謝の念に堪えません。
お陰様で、企業生き残り30年説が叫ばれる中、何とか生き残ることが出来ました。
田舎者故、不慣れなことばかりでご迷惑もお掛けしました。また、社業も順風満帆な時は一度たりとも御座いませんでしたが、皆様方よりお仕事や激励を賜りました。

一番の思い出は「阪神淡路大震災」時、近隣の皆様方から食料や衣類などの支援を頂き、被災地に延べ136人の職人を派遣させて頂いたことです。
以来、翌年より毎年、地元大月市の皆様方の使われている、公共物の屋根の葺き替えボランティアをさせていただきましたこと26棟。同時に「紅富士太鼓」も25年の節目を迎えることが出来ました。その間、災害ボランティアとして10度、和太鼓による演奏会は1100回を超え、海外文化交流も25年30回を数えました。また皆様のおかげで「ネパール連邦民主共和国」の中高大学の若者たちを15年間温かく受け入れていただきました。
話せば、長くなりますが、何から何までお世話になりましたこと、重ねて御礼申し上げると同時に、小生68歳では御座いますが、さらに地域や社会のために、また山梨県を中心に海外文化交流の礎を作るべく前進をさせて頂く覚悟です。

引き続き格別のご理解とご支援を賜ります様、宜しくお願い申し上げます。

会長 石岡博実