山梨から日本、そして世界へ。

創業35周年を迎えて

弊社は創業35周年を迎えることができました。
年始にあたっては恒例の屋根葺き替えボランティアも例年通り行い、無事に終えることができました。正直なところ、良く続けられてきたな…と感慨深いものがあります。改めて、社員をはじめ関係者の皆様方には心より感謝申し上げます。

こうしたボランティア活動は、今ではCSR(企業の社会的責任)の一環と言われていますが、弊社がボランティア活動を開始した阪神淡路大震災当時は、売名行為ではないかというような我々の活動を訝しむ声も散々聞かれました。現在であっても活動を不思議がられ、我々の理念を知らない方からは「身銭を切って行ったのですか?」と質問され、こちらが戸惑うことがあります。
2017年に設立しました災害復旧職人派遣協会では、2019年の山梨県との協定により、県より旅費・交通費・宿泊費が支給されるようになり、さらに、広島県(2020年9月)・福岡県(2021年7月)・東京都(2021年10月)との協定も締結され全国的な流れが出来ようとしていますが、それまでは理解が得られる土壌には無かったと言って良いほど、CSRは一般的に定着していなかったと言えます。

しかし、弊社は今までCSRを念頭に置いて実行してきたわけではありません。そのような余裕はありませんでした。ただただ「止むに止まれない想い」と、「屋根屋魂」からです。40回近く行ってきた講演の中でもお話しさせていただきましたが、ボランティア元年と言われた阪神淡路大震災がすべての発端でした。
被災地でのボランティア活動のために、当時“悪たれ“と言われた若者を含む人員を1ヶ月間で延べ136名派遣しました。その時、若者の目が輝き、生き生きとした姿を見た時に「何物にも勝る社員教育」を見出したのがきっかけでした。弊社にとってもまさしく「ボランティア元年」でした。それ以来、ボランティア活動の灯を消してはならないとの想いでの活動を継続しています。

しかし、災害は毎年起こるわけではないので、会社として若者たちに「何かの活動の継続」は無いかと考えた末に紅富士太鼓の結成を思いついたのです。当時、台湾・香港・グアムなどへ社員旅行に行っていました。当時は”海外の社員旅行“は羨ましいなどと言われましたが、むしろ国内旅行よりも安かった時代でした。どうせなら“和太鼓による交流活動”を行って来ようとスタートしたのが、阪神淡路大震災(1995年)から2年後にスタートし、現在の「海外文化交流(36回・26年)」へと結びついたのです。以来、海外文化交流は第1回目のアメリカ・サンフラン シスコで始まり、ポートランド、オーストラリア(オリンピック開催親善)、台北(3回)、ニューヨーク(2002同時多発テロ翌年の追悼公演)・ロス・デンバー、フランス(パリ2回・富士山世界遺産登録交流)と続いてきました。

そして、《大月ロータリークラブ40周年事業》がきっかけとなり、2003年にネパール日本友好協会を設立し、ネパールとの交流がスタートして現在に至ります。
ネパール交流は今年で19年となり、2005年からネパールの子供たち(中高大学生)を毎年日本に招待しています。また山梨県で同年代の学生との交流を始めてから早15年になります(2019〜2021年は新型コロナの影響で中止)。

その間、紅富士太鼓はNGO法人としてネパール政府より認可・世界平和太鼓制作・日本ネパール50周年・60周年に参加・外務大臣賞受賞・NGO法人ネパール日本友好協会設立・日本教育文化センター設立・観光親善大使拝命など多くの歴史を刻んできました。
しかし、NPOにしてもNGOにしても、ボランティア活動という組織運営と継続は並大抵ではないことも勉強させていただきました。
この様に、弊社はCSRを前提に考えてきたわけでは無く、阪神淡路大震災がきっかけで流れの中でCSR(企業の社会的責任、社会貢献)が定着したと言って良いでしょう。

さて、このCSRの概念自体は新しいものではないようで、調べてみると「日本では経済同友会が1956年にCSR決議を行って以来、50年の歴史がある。1990年代後半から日本企業に「環境経営」が定着するなかで、2000年以降に頻発する企業不祥事を契機に、2003年再びCSRへの関心が高まった」とあります。
また「企業の不祥事に代表されるネガティブな側面が社会から厳しい批判を受けたことが契機となっている」と。さらに、「つまり、これまでCSRの「取組」が問われてきたため、「成果」が出ていなくても体制や取組内容が良ければ、“CSRに優れた企業”と評価されてきました。それゆえ、“名ばかりCSR経営” も散見されます。しかし、これからは具体的な「成果」が問われます。さらに現下の世界同時不況にあっては、企業のCSRの“本気度”が試されることにもなろう」…と、手厳しい論評でありますが「具体的な「成果」が問われる」とは、もっともであり、自ら汗を出すべきであると小生は思います。
日本では「渋沢栄一」があまりにも有名ですが、経営学者のドラッカーも、「率直にいって私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない」と述べています。

昔から「知恵あるものは知恵を出せ!金ある者は金を出せ!金のない者は汗を出せ!」と言います。大企業は利益の中から金を出せるのでありますが、殆どの代表者は汗をかかない代表が多く見受けられます(知恵があるからでしょうか)。
弊社のような零細企業は、税法上は利益の中からは出せないし出てきません。あくまでも身銭を切る覚悟で行動に移し、汗しか出せません(知恵のない者のやっかみでしょうか)。しかし、4半世紀の活動の中で一番難しいと思うのは、その場へ行くための己の身体の移入です。会社は?売り上げは?支払いは?残された社員の動きは?などなど…。だからと言って、金銭至上主義も如何なものか?三井財閥の大黒柱・團琢磨元日経連会長は「事業は事業自体が目的であって、金儲けのためではないのです。金儲けをしたいのであれば相場でもやるがいい」と、これまた手厳しい。渋沢栄一氏と話し合ったら、面白きことであろうと思います。
長くなりましたが、4半世紀にわたり社業以外に、このような活動を継続してこられたのは幸運であったことは間違いないと確信しています。

加えて、弊社の営業社員・職人もCSRの意識が高い!誇りをもってボランティア活動に参加しています。今では、災害復旧時においては指導者の立場で、被災者や行政の方々と向き合っています。
物事は理屈通りにならない。「いざ!という時」は、現場で鍛え上げていなければ実力は発揮できません。実践力・行動力・挑戦力の繰り返しの持続力が災害時には必要です。プラスして専門職の影響は大きい。そうした意味でも27年のボランティア活動の意義は極めて高く、若者たちも人間的に幅が広がっていることを実感しています。

会長 石岡博実