山梨から日本、そして世界へ。

ネパール交流/新たな展開へ向けて。

今年創業30周年を迎えた弊社が、地域貢献事業の一貫として足掛け15年に亘って行ってきたネパールとの交流の歴史を簡単にご紹介します。

日本ステンレス株式会社 会長 石岡博実

2017年5月27日、公益社団法人日本ネパール協会の総会と在日ネパール大使館のPrativa Rana(プラティーパ ラナ)大使の講演をお聴きし、お会いしてきました。大使は、20年近く国会議員・科学大臣を務めた女史であり、今回の総会は5月に赴任されてからの初会合でした。
奇しくも、シェール・バハドゥル・デゥパ元首相の、義理のお母さまが大使となられたのです。デゥパ元首相とは長年の交流があり、10年前の「日本ネパール国交樹立50周年」に首相公邸で「紅富士太鼓」のメンバーと懇談をしていただいた時以来、カトマンズのご自宅でお茶をご馳走になったりのお付き合いをさせていただいております。

また、一昨年来日したデゥパ元首相ご夫妻がこの度も来日され、山梨県と静岡県をご案内し、三島市のグランドワーク三島の渡辺教授の案内で、環境問題について意見交換。さらに、温泉に浸かりながら語り明かしたりもしました。
翌日は、二階俊博日本ネパール友好議員連盟会長から歓迎と懇親を深めました。
「ネパール大震災」においては、いち早く物資を届けました。デゥパ氏宅にも訪問した際、わざわざ入口まで出迎えて頂きました(敷地は広く、コングレス党党首でもあり軍隊が警護しています)。
お茶などを頂戴しながら、ご自宅でテント暮らしをしているなど、大地震の現状を聞くことも出来ました。

「紅富士太鼓」の交流は、2003年3月・大月ロータリークラブが40周年事業の一環で「ネパールに民族楽器を200校に贈呈」の記念式典を行うために、日本の和太鼓を紹介するようにとの要請があり訪問しました。
発展途上ではありますが、ネパールには「日本人が忘れかけている何かがある!」との想いから、10年を費やす決意をし、ネパールにもチームを結成。さらに和太鼓を寄贈してのスタートでした。以来、毎年「紅富士太鼓」による交流(29回訪問)が行われてきました。

2006年「日本ネパール国交樹立50周年」に、革命派のマオイストと和平協定が締結しました。驚くことに、「世界平和太鼓」をネパールにもう一基制作した「国交樹立50周年」の祝賀の最中に行われたのです。まさしく、ネパール政府と革命派との和平を持って「お釈迦様生誕の地より平和を!!」との想いが両国民のみならず、全世界へと発信されました。我々訪問団一同も「万歳!万歳!」の連呼でした。
そして2007年、10年にわたる内戦にピリオドを打ち王政を廃止し、「ネパール連邦民主共和国」が誕生したのです。もっと喜ばしいのは、「歴史をつくれ!」とは、先人の言葉。「なにかを始めよ!何かを残せ!何かで結果を出せ!」との桂冠詩人の言葉であります。
「語るは易く、行うは難し」は身に染みておりますが、これも偏に関係各位の皆様のお陰と心より感謝申し上げます。

さて、7月11日から25日まで「第12回 中学生交流団」が来日します。併せて、8月には「第2回 大学生交流団」も来日し2団体とも山梨・静岡グラウンドワーク三島と合同で盛大に交流を行います。
今後とも、皆様のご指導ご協力をお願い申し上げます。